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華氏451/hackerのコメント

rating33.3000

華氏451へのコメント

採点

rating5

コメント

この映画を撮っている間の撮影日誌である、トリュフォー監督による『ある映画の物語』を読んだので、久しぶりに再見し、レビューも全面的に書き直しました。

レビュー

ブラッドベリの原作はあまりにも有名ですが、簡単に物語を紹介します。

近未来、書物と文字が禁止された時代、主人公のモンターグ(オスカー・ウェルナー)はファイアマンを職業としています。ファイアマンとは、禁止されている書物を隠している家を急襲して、本を燃やすことを任としています。題名の華氏451とは、紙が燃えだす温度のことです。モンターグの妻リンダ(ジュリー・クリスティ)は、この時代の典型的な家庭の主婦で、一日TVを見て過ごし、精神の落ち着きを求めるために様々な薬を常用しています。しかし、モンターグは妻にも職業にも満足して生活していました。ある日、通勤に使っているモノレールのなかで、小学校教師をしているクラリス(ジュリー・クリスティ二役)に声をかけられます。同じ地区(数字のみで「813」、もちろんルパンからの引用です)に住んでいるのが縁で、職業の話や家族の話を交わしますが、別れ際に彼女は彼に聞きます、「本を読んだことある?」と。

実は、モンターグは、法で禁止されているにもかかわらず、なぜ多くの人がそれを破るのか疑問に思っていて、ある日没収された本を一冊(ディッケンズの『デイヴィッド・カパーフィールド』)こっそり自宅に持ち帰り、読み始めると、その魅力に憑かれ次々と読むようになります。

自分の職業に疑問を抱き始めたモンターグは、ある日押し入った秘密図書館の家で、そのたくさんの本の持ち主である老婦人(ビー・ダッフェル)が、逮捕されるより本と一緒に燃やされる方を選ぶ場面に接し、ショックを受けます。また、クラリスの家もファイアマンの急襲を受け、一緒に暮らしていた彼女の伯父が逮捕され、彼女も逃走中であることを知り、ファイアマンを辞める決意をします。しかし、妻リンダの密告により、彼の最後の出動は、自分の家でした。

その場から逃げ出したモンターグは、クラリスから聞いた、都市からの逃走者が集まる地区にたどり着きます。そこは、後世に伝えるべき作品を丸ごと暗記している書物人間 Book People の集まりでもありました。モンターグも、ポーの作品の書物人間となることを決意するのでした。

ところで、この映画を観た人ならば、絶対に忘れられない奇跡のように美しいラスト・シーン、雪が降る中を、書物人間たちが暗記をしたり、忘れないように本の内容を語りながら、雪の中を歩き回るシーンは、実は偶然の産物です。『ある映画の物語』では次のように書かれています。

「朝、6時に起きてみると、ヒルトン・ホテルの25階の窓から、ロンドンじゅうに雪が降りしきっているのが見えた。深く積もり、なおしつこく降り続けている。(撮影場所の)ブラック・パークも真っ白だった!それでも撮影を決行することにし、雪に合わせてイメージを急きょ組み立てることにする。(中略)このラスト・シーンは長回しのワンカット撮影でいくことにした。静かな森のなかの湖水のほとりに雪が降りしきっている。クラリスが奥のほうから現れ、サン・シモンの『回想録』の冒頭をフランス語で暗唱しながら歩いてきて、他の書物人間たちとすれちがう。さまざまな言語で、さまざまな書物をそらんじながら歩く人たち、ロシア語、ドイツ語、等々がいりまじる。モンターグとクラリスがいっしょになり、ならんで歩く。モンターグは一冊の本を手にして一生懸命暗記しているー『私がこれから語ろうとするのは、一つの恐怖に満ちた物語である...』
静かに平和に雪が降りしきる湖水のほとりを、何人もの書物人間が各々の書物をそらんじながら歩き、すれちがう。これが、なんとか雪に合わせて即興でひねりだしたこの映画のラスト・シーンだ」

この映画はもちろん書物への愛が中心テーマです。ただし、映画への愛にも溢れた作品であることは、この撮影日記を読むとよく理解できます。例えば、必ずしも結果には満足できなかったようですが、リンダが着る服はエルンスト・ルビッチの傑作『生きるべきか死ぬべきか』(1942年)でキャロル・ロンバートが着た素晴らしいロング・ドレスを、クラリスが着るミニスカートはミュージカルの傑作『雨に歌えば』のデビー・レイノルズの可愛らしい服をイメージしていた点や、焼死する老婦人の家に踏み込んだ時の画面の構図が、ニコラス・レイの忘れがたい『大砂塵』(1954年)の一場面と結果的にそっくりだったので驚いた点や、撮影中にオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941年)を観て「これぞ、映画の中の映画だ!」と興奮気味に語る点とか、トリュフォーの様々な映画に対する愛や感性が実に印象的です。

また、俳優陣について触れると、栗色の長髪のリンダと、金髪で短髪のクラリスの二役、まったく別人のような外見の二役を演じるジュリー・クリスティのアイデアはどこから来たのかは語られていませんが、結果的には成功していると思います。実は、映画のラスト近くで、リンダもいずれクラリスのようになることを暗示しているシーンがあるのです。また、映画の初めの方はロング・ドレスだったリンダの服がラスト近くでは、まるでクラリスの服のごとく丈が短くなっていく点にもそれは暗示されているのですが、同じ女優が演じることに、しっかりした意味があるのが分かります。ジュリー・クリスティは、当時デヴィッド・リーンの『ドクトル・ジバゴ』(1965年)のヒロイン、ラーラを演じた直後で、人気の面でも、俳優としてもピークだったのではないでしょうか。トリュフォーもその演技力を絶賛していますし、本作撮影終了後にはジョン・シュレシンジャーの『ダーリング』(1965年)でアカデミー主演女優賞を受けています。

これに対し、オスカー・ウェルナーは全然監督の意向通り動いてくれないこともあって、ボロクソに書かれていて、撮影の最後の方では、編集で直してしまえば良いとあきらめの心境にトリュフォーがなっているのが、ちょっとおかしいです。ただ、そういう舞台裏を知らないでいると、二人とも抑えた演技で、決して悪くはありません。

また、「本なんか人間に優越感や劣等感を与えるだけの有害なもので、皆が同じような人間でいることが大切だ」という信念を持って、ファイアマンを行っている、モンターグの上司役シリル・キューサックも、とても印象的です。

トリュフォーとしては、この映画をSF然あるいは恋愛映画然としたものにだけはしたくなかったようで、現代の我々と同じような生活をしている近未来で、本だけが禁止されている管理社会という舞台設定にしようという意志が、演出には強く感じられていて、そこはまちがいなく成功しています。

トリュフォーの作品は、すべて愛の映画とよく言われますが、ここでは男女の恋愛関係は描かれないものの、読者と本の愛が描かれている点において、立派な愛の映画なのです。映画の中で、逮捕されるよりは本と一緒に焼かれることを選ぶ老婦人の台詞に「この本たちは生きているのよ」というのがあるのは、もちろん意図的なものです。

こういう映画を観ると、電子図書への興味がなくなります。

評者

hacker

更新日時

2016年12月18日 08時53分

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