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男はつらいよシリーズ中の最高傑作「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」
このレビューは物語の核心部分が明かされています。
都会での生活を長くしていると、日々の暮らしの中で何故か意味もなく疲れ、空虚感を覚え、自分を含めて周りの人々も無表情で、まるで人間を感じる事が希薄になって来るような人間不信に陥ってしまう事がたびたびあります。
しかし今や国民的映画と言える「男はつらいよ」シリーズを繰り返し観ていると、ここで描かれているものは、このような非人間的な世界とは対照的な、孤独な人間と人間が寄り添って生きる人情味溢れる世界を味わう事が出来ます。
このシリーズを観ていてまず思うのは、おかしさと悲しさとは表裏一体の関係にあるという事です。
人間が悲劇的な事を一生懸命にやっているというのは、端から見ると喜劇になってしまう事があります。
喜劇になるか悲劇になるのかは、"物語の展開ではなくて、映画の作り手側の感性だ"というゴーリキーの有名な言葉があります。
山田洋次監督の感性は悲劇的な話も喜劇にしてしまう素晴らしさがあり、これは日本人の笑いの基本とも言われる"落語の世界"のもつ客観主義、つまり、おかしさにも悲しさにも溺れずに、常に客観的な冷たい視点を山田洋次監督が映像作家として持っているからだと思います。
このシリーズを観終った後に感じる、あのほのぼのとした、心が満ち足りた思いは、決して自分ひとりだけが感じるものではなく、他の映画を観た多くの人々が、再び生きる勇気をもらって現実の社会生活に戻って行くのだと思います。
"寅さんの素朴な人間愛、優しさが現実の厳しい生活に憔悴し切った我々観客の心をどれだけ癒し、慰め、励まし、再び生きる歓び、活力を与えてくれたことか"----今更ながら映画の持つ力、インパクトの凄さについて考えさせられます。
そしてこのシリーズは山田洋次監督のものであると同時に主演の寅さんこと、香具師の車寅次郎のものであり、彼こそ日本中の映画ファンの共感と憧憬を勝ち得てきた、日本人のいわば原型ともいうべき愛すべきパーソナリティに満ち溢れています。
寅さんを演じる渥美清は、山田洋次監督をして「あれぐらい繊細で、人の気持ちがよくわかって、優しくて、同時にクールで、洗練された人っていうのは、ちょっといないでしょう」と言わしめ、"寅さんか渥美清か"という凄い存在になっていきます。
しかし、この寅さんという役とのあまりの一体感のため、その後の渥美清という役者のイメージが固定化し、その他の様々な役柄を演じる事が出来なくなったのは、彼にとってある意味、不幸でもありました。
この寅さんと表裏一体の関係で、この映画に欠かせないのが妹さくらの存在で、"倍賞千恵子かさくらか"と本人も気づかないくらい、さくらという役になり切って見事です。
山田洋次監督がこのシリーズで本当に描きたいのは、寅さんよりも、むしろこのさくらという女性ではないかとさえ思えてきます。
このような心の優しい、気のきいた女性こそ本当の日本女性の理想像のような気がします。
山田洋次監督も、この寅さんとさくらの二人と、それを取り巻く柴又・帝釈天界隈の人々の人情を通して、日本人論をパロディ的な世界の中で描いているのだと思います。
今回鑑賞しましたシリーズ15作目の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」は11作目の「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」の続編ともいうべきもので、マドンナ役が11作目に続いて、ドサ回りの放浪の歌手リリーを演じる浅丘ルリ子で、美しいがために不幸で気の強い、しかし心優しき女の哀しみを彼女は、その表情のひとつひとつ、所作のひとつひとつで実に繊細に尚且つ味わい深く表現していて、まさに惚れ惚れするような名演技です。
彼女はその後も25作目の「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」、シリーズ最終作となる48作目の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」にもリリー役で出演しています。
シリーズ中、たくさんの女優によって様々なマドンナが登場しましたが、堅気の女性ではなく、いわば寅次郎と似たような境遇で人生の苦しさ、悲しさも知り尽くし、相思相愛の間柄になるリリーこそが最高の真のマドンナだと私は思います。
山田洋次監督もこの「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」がシリーズ全48作中、最も好きな映画だと語っていて、マドンナ役の浅丘ルリ子についてもシリーズ中のマドンナ役としては最も思い入れがあると語っています。
また、彼女についても「勘が素晴らしく良くて、切れ味がいいんですねえ。芝居もスピーディだし」と絶賛しています。
またマドンナという存在について「寅が絶対に魅力を感じない女性はいるんです。それは向上することを求めない女性、より真実な生き方についてまじめに考えようとしない女性、おしゃれや快楽のみに身をやつしている女性です」とも語っていて、これは勿論、山田洋次監督自身の女性観でもあり、失恋する事もなく、変わる事のない本当のマドンナこそ、監督の中では、実は"さくら"なんだと思います。
この映画で印象的なエピソードとして、大会社のエリート社員で蒸発した男を演じる船越英二が、下町に対する山の手、ドロップアウトに対する常識人という対比の構図で出てくるところが、このシリーズ中で今迄にない批判的な色彩を帯びていて興味深いと感じました。
そして寅さんとリリーとエリート社員の三人が共に旅する小樽でのシーンが情緒たっぷりな演出で、映画の素晴らしさを堪能させてくれました。
ある日、ふらりと柴又の寅屋の店先に舞い戻り、有名なメロンにまつわる騒動の末、やがて再び、ひとり漂泊の旅に出て行く寅さんの後ろ姿には"人生、これ過客の如し"という刹那的な哀歓が込められていて、このシリーズの重要な核になっているシーンだと思います。
この映画の寅さんがひとり海辺にいて、画面一杯に広がる青海原を眺めるラスト近くのシーン、そして、それを笑いのミニ・バスに切り替えてのエンドという演出は、このシリーズが意味するものを象徴的に暗示している優れたシーンとしていつまでも心の奥底に深く残る、素晴らしいラストシーンだったと思います。
なお、この映画で浅丘ルリ子は第30回毎日映画コンクールの最優秀主演女優賞、第18回ブルーリボン賞の最優秀主演女優賞、キネマ旬報の最優秀主演女優賞を受賞とその年の賞をほとんど受賞するなど、絶賛されました。
また、倍賞千恵子も同ブルーリボン賞の最優秀助演女優賞を受賞しています。
2022年05月20日 08時40分
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2022-06-01 hacker2 |