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アマデウス/ひろみママのコメント

rating33.8750

アマデウスへのコメント

採点

rating5

推薦数

+4

コメント

二人ともある意味では天才なのに、哀しいかな、そのタイプの差はあまりに大きかったのでしょう。
ある意味で、いつも人の道とは苦く、惨いものなのかもしれません。

ネタバレ

このレビューは物語の核心部分が明かされています。

レビュー

私は、天才のタイプは、3つに分類できると考えています。
1.大量な情報を獲得しているデータベース型の天才
2.多くの人生経験から様々な法則やルールを獲得しているルールベース型の天才
3.発想、思想、創造性豊かで創意工夫が巧みなクリエイティブな天才

それらのまさに異能と呼んでも過言でない才能と身体的な個性(技法、技能、技術などの特異な能力)を組み合わせて、様々な天才が存在すると思います。しかし、世間が認める才能ある人の多くは、1か2のタイプの何れかが多く。3のタイプはマイノリティーのようです。それ故に、多くの人が「真の天才」と呼ぶ人材(人財)は、1のタイプでも、2ものタイプでも、その複合のタイプでもなく、紛れもなく3のタイプの人間なのでしょう。

1、2(または複合)タイプの才能ある人は、一般的に博学で、人生経験が豊富で、物事の先が読め、人々の尊敬を集めやすい存在です。しかし、このタイプには最大の欠点があります。それは、情報やルールを蓄積するキャパシティー(保有能力)に限界があるということです。一方、3のタイプは、子どものような心を生涯持ち続け、スポンジのように全てのことを吸収し、無制限に能力を発揮することができ、まるで湯水が湧き出る泉をもっているかのような無限大の才能を持ち得ています。しかし、その非凡さ故に理解され難い人生を歩き、普通とは無縁の儚く虚しい道を歩まねばならないのかもしれません。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)もまさに3のタイプの天才で、その才能を求めて止まないアントニオ・サリエリ(F・マーレー・エイブラハム)は、哀しいかな1、2のタイプなのではないかと思われます。

私は、この作品を見て、与謝野晶子と鉄幹の関係を思い出してしまいます。いつの世も、天才とそれを見抜く伯楽のような関係は、それが互いの立場が近ければ近いほど、双方どちらにとってもなかなか辛いものがあるのではないでしょうか。与謝野夫婦やモーツァルトとサリエリの関係は、まさにそういう状況を作りやすい間柄であり、また運命だったのでしょうか。

天才側から見れば、自分の才能を見抜ける人材は貴重な存在です。しかし、人間は嫉妬の動物ですから同時にその人物は自分の足を引っ張る存在でもあるという皮肉が生じます。一方、天才を見抜く側から見れば、その天才は美しいまでの憧れという愛すべき対象ではありますが、自分の能力との差をまざまざと見せ付ける憎い相手でもあります。哀しいかなそれは、人間の中にあるアンビバレントな感情です。

この作品は、そういった双方の立場の差と、能力の差を歴然と描いているもので、切ない作品ではあります。
しかし、ドンペリさんが書かれているように、「サリエリを単なる‘嫉妬の塊’としては描かず、誰よりもモーツァルトの作品を愛して止まなかったのは、何を隠そうサリエリだったのだとそこに涙するように出来ている、奥深い作品」だと私も思います。

この作品の見所は、豪華絢爛な衣装と名曲の数々、またロケ地であるチェコ・プラハの美しい風景です。クラシックがお嫌いな方でも楽しめる作品だと思います。お勧めします。

更新日時

2006年05月18日 23時10分

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