みんなで作る映画データベース
  1. トップ
  2. 映画一覧
  3. スリルとサスペンス
  4. 西部劇..
  5. 許されざる者
  6. hacker2のコメント

許されざる者/hacker2のコメント

rating44.1250

許されざる者へのコメント

採点

rating5

コメント

クリント・イーストウッドの傑作というだけでなく、西部劇の歴史に残る傑作です。

レビュー

久しぶりに再見したのですが、初めて気づいたのはエンド・ロールの最後に「ドンとセルジオに捧げる」と謳ってあったことで、これは言うまでもなく、ドン・シーゲルとセルジオ・レオーネのことです。ドン・シーゲルは『真昼の死闘』(1970年)『ダーティ・ハリー』(1971年)によって、セルジオ・レオーネは『荒野の用心棒』(1964年)『夕陽のガンマン』(1965年)『続・夕陽のガンマン』(1966年)によって、イーストウッドをスターダムに押し上げた監督であり、いわば恩人でした。殊に、ドン・シーゲルは、イーストウッドの監督処女作である『恐怖のメロディ』(1971年)には監督補佐を務めたと言われ、ほとんど師弟の関係であったようです。
また、イーストウッドは、TVの『ローハイド』で名が知られるようになったこともあって、西部劇との縁は深いものがあります。実際、監督第二作『荒野のストレンジャー』(1973年)は、かって鞭によるリンチを受けて殺された男の亡霊が、その町に戻ってきて町民や自分を殺した者たちに復讐という西部劇で、振り返ってみると、イーストウッドのその後の作品のモチーフの多くが描かれており、個人的には、大変好きな映画です。
ところで、イーストウッドは、ハリウッドの監督としては、いろいろな「初めて」を監督作品の中でしています。例えば、『アイガー・サンクション』(1975年)では、ハリウッドとしては、おそらく最初の白人(イーストウッド自身)と黒人のベッド・インの場面がありますし、一つの戦闘を、戦った両軍の立場から別々に二本の映画にした『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006年)は、一本の映画の中で両軍の立場を描くという映画は多々あったものの、こういう発想は誰もしなかったことです。また、『硫黄島からの手紙』では、米兵が「面倒だから」という理由で降伏した日本兵を射殺する場面も描いています。
そして、監督として、イーストウッドが、多くの映画で扱ってきたモチーフは「人を殺すことの重み」です。本作でも、「飛ぶ鳥の目を撃てる」と豪語していたライフルの名手がビビってしまい、狙いをつけた手負いの相手を撃つことができなくなってしまう場面や、賞金のかかった相手を殺した後で「俺は人を殺したのは初めてだ」と言って泣く若者の姿が印象的ですが、西部劇でこんな描写をしたのは、間違いなくイーストウッドが最初でしょう。
前置きが長くなりました。本作の物語を簡単に紹介します。
1881年、ワイオミングの田舎町の酒場兼売春宿で、娼婦の一人が、二人連れで来ていた酔ったカウボーイの一人に顔を切り刻まれるという事件が起こります。保安官のリトル・ジョン(ジーン・ハックマン)は、犯人たちが七頭の馬を酒場の主人に渡す裁定をしますが、娼婦たちは納得しません。皆で金を持ち寄って、犯人たち二人の首に千ドルの賞金をかけ、そのことを店に来る客たちにふれまわったのでした。
一方、カンザスの田舎で、かっての伝説的アウトロー、ウィリアム(ビル)・マニーが二人の子どもと一緒に、農業をしながら、細々と暮らしていました。彼は、妻と知り合ったことがきっかけで、一切の悪事から足を洗ったのですが、3年前に妻には先立たれていました。そこへ、かっての仲間の甥だという若者スコフィールド・キッド(ジェイムズ・ウールヴェット)が訪ねてきて、千ドルの賞金の話を持ちかけて、パートナーになってくれと頼みます。一度は断ったビルですが、子供たちのために金が必要だと判断して、昔の相棒でライフルの名手ネッド(モーガン・フリーマン)を誘い、キッドの後を追って合流し、三人で目的地に向かうのでした。
本作は、「夢よもう一度」の中年男の話のようですが、主人公は昔の姿を取り戻したくないと思っている点が特徴で、はっきり言って、自分で直接手を下したくないがゆえに、ネッドを仲間に引き入れるのですが、前述したように、ネッドは久しぶりに人間に対して引き金を引く勇気がわかず土壇場で役に立たず、「今までに5人殺した」と言っていたスコフィールド・キッドは実は近眼で遠くの相手が撃てないうえ、どうやら人を殺したことなどなさそうなことが分ってきます。こうして、ビルは殺人に自ら手を染めていくことになるのです。
本作では、また、DIYは下手くそなくせに、自分ひとりで雨漏りだらけの家を建てるリトル・ジョンの存在が、いつもながら上手いジーン・ハックマンの演技もあって、際立っています。彼も、かってはアウトローが幅を利かせていた地域の保安官をしており、いくつも修羅場をくぐってきたのですが、ビルと違うのは、今も現役だということです。それを表すのが、アウトローとしては名の通っていたイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)が賞金稼ぎのために町へ現れた時に一蹴する一連の場面で、西部劇で重要な手ごわい敵役の描き方です。とても、今のビルでは敵わないと思わせますし、実際に、一度は半殺しの目に遭うのですが、リトル・ジョンがネッドを鞭で拷問の挙句、殺して、死体を酒場の入り口にさらしもののしたことが、ビルの中に眠っていたモンスターを覚醒させてしまうのでした。
本作は、西部劇ではありますが、いわゆる昔式のカッコイイ西部劇ではありません。尾ひれがついたアウトローたちの虚偽の伝説も語られますし、当時の拳銃に100%の信頼が置けなかったことも語られています。しかし、モンスターとなったビルを見つめる、娼婦たちや町の人々の恐怖に満ちた視線は、殺人という行為が日常茶飯事だった時代を実際に生きた人間もいたことを語っているのです。そういう意味では、実に正統派の西部劇です。しかも、復讐と殺人という行為の歯止めのなさも、同時に語っています。そして、モンスターとなったビルに喝采を送る、我々観客への問いかけも同時になされているのです。
本作は、冒頭、夕陽が赤く照らす中、家のそばの木の近くに妻を埋めるための墓を掘っているビルと、家と、木を影絵で撮った場面から始まり、同じ構図で、既にそこは無人となった家と木を映し出して終わります。
最後に流れる字幕が「(死んだ妻の)母親は、なぜ娘があんなアウトローを結婚相手に選んだのか、最後まで理解できなかった」というのも印象的です。人間の中にはモンスターがいて、モンスターの中にも人間がいるのです。

評者

hacker2

更新日時

2021年07月31日 09時59分

コメントの推薦

データがありません
2021年11月28日 08時20
2021年11月28日 08時20
©ずばぴたテック