明らかにマデリーン・キャロルをきれいに撮ることが、ヒッチコックの大きな関心だった作品。
昔の監督は、スターをきれいに撮るということを、大なり小なり意識していたものです。特に、監督と女優がパートナー若しくは恋仲だった時は、それが顕著で、スタンバークとマレーネ・ディートリッヒの一連の作品をすぐ思い浮かべますが、そこまでいかなくても、ゴダールとアンナ・カリーナの『女は女である』(1961年)や、吉田喜重と岡田茉莉子の『秋津温泉』(1962年)も、その好例でしょう。もっと細かくは、シャブロルが『肉屋』(1969年)で残した、振り向いたステファーヌ・オードランの信じられないほど素敵な笑顔のクローズ・アップも挙げられるでしょう。
もっとも、ここにあげたのは相思相愛の例ばかりで、ヒッチコックも女優をきれいに撮ることに関しては名人だったのですが、ヒッチコック・ビューティーの代表グレース・ケリーを持ち出すまでもなく、どうも片思いばかりだったようです。
前置きが長くなりましたが、前作『三十九夜』(1935年)に続いて、マデリーン・キャロルをヒロインに迎えた本作は、ヒッチコックの関心の一つが彼女をきれいに撮ることにあったのは疑いようがありません。特に、カシノに行くときのドレス姿は、『生きるべきか死ぬべきか』(1942年)のキャロル・ロンバードの伝説的なドレス姿には及ばないでしょうが、ななかなのものです。
なんだかわき道にずれてばかりいますが、本作は、かなり脚色してあるでしょうが、第一次世界大戦中、実際にスパイ活動をおこなっていた文豪サマセット・モームの『アシェンデン』(1928年)が原作です。スイスに滞在しているドイツ側の正体不明のスパイの抹殺を指令された主人公の作家(ジョン・グールグッド)がアシェンデンという偽名で、メキシコ人の殺し屋の通称「将軍」(ピーター・ローレ、怪演!)と一緒にチューリッヒに渡り、そこでおちあった妻役の女性エルザ(マデリーン・キャロル)と三人で、相手のスパイの正体を探るというものです。
もちろん、「殺しはナイフにかぎる」という主義の将軍や、望遠鏡越しに将軍の殺人を目撃する主人公、その殺人は実は誤認だったのですが、その時遠く離れていた犠牲者の飼い犬の反応とそれを見つめるエルザ、最後には敵もろともアシェンデンたちを抹殺することも厭わない上層部など、ヒッチ・タッチ満載の作品ではあります。
この頃のヒッチコック作品は、まさに映画の基本的醍醐味が味わえるものばかりです。
2020年04月08日 10時36分
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