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蟻の兵隊/葉直のコメント

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蟻の兵隊へのコメント

採点

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推薦数

+3

コメント

こんなふうに、戦史の暗部に埋もれた事実は、きっとまだまだ沢山あるに違いない。
戦後60年、当事者達は、いったいどれだけの眠れぬ夜を重ねてきたのだろう。
その歯ぎしりが耳に響くようでありながら、戦争を知らない私からは、
慰めの言葉もいたわりの言葉もかけることなど、むしろ、一切、出来はしない。
〔スクリーン×1〕

ネタバレ

このレビューは物語の核心部分が明かされています。

レビュー

80歳になる元日本兵、奥村氏のロードムービー。
靖国神社、病院、裁判所、駅のホーム、自宅(元中国からの引揚者の寮だった、現公団)、 そして中国へ。
氏が突き詰めようとするのは日本軍山西省残留問題。
『終戦』したにも関らずその地に残され、武装解除を受けず、 中国国民党系の軍閥に合流し、『戦後』4年間共産党軍と戦った。
『戦後』であるのに、約550人が戦死、700人以上が捕虜となる。
元残留兵の1人である奥村氏の前で、『戦後』であることを知らず、 「天皇陛下、万歳!」と叫んで散った仲間もいたという。

また、ロケで中国へ行った奥村氏に、当時を知る現地の人がこのような言葉を漏らす。
「天皇の為になら解るが、戦争が終わっているのに何故戦っているのか不思議だった。」
氏は「やとい兵として戦ったのではない。アメリカには負けたが、中国に負けたとは 思わなかった。」と話す。
当時の混乱が推し量れる。
そして、やっと日本へ帰った彼等を待っていたのは“逃亡兵”の扱い。

しかしまず、兵の残留は何のためだったのか?
作中、中国で見つかった日本軍の資料に「日本軍の天業を押し広めるため」と 書かれているのが映る。
これをさらりと言ってしまえば、 日本軍は戦後まだ“諦め”がつかなったのだということになるのだろう。
人間(軍上層部)の心理としては当然だろうに、今まで考えもしなかった。
もちろん全くもって肯定できない。その矛盾がただひどく衝撃だった。
これがもう1つの衝撃を生む。
国は残留兵の戦後補償を拒み続ける。残留したのは兵たちの意志によるとみなして。
そうしか出来ないのだ。認めればポツダム宣言に違反したことになる! (いや現実に違反していたのだ。)

奥村氏を含む残留兵たちは、帰ってなお、犠牲を強いられ続ける。
訴訟を起こそうとも認められるはずはなく、司法も何もあったものではない。
奥村氏の元へ届いた判決文には、 「差し支えのため、裁判長が署名・捺印できない(大意)」とある。
どういうことかと氏が裁判所へ電話をすると、対応した女性は初めのうちは言葉を濁し、
やっと「物理的に無理なんです。裁判長は○○してしまったから。」と答える。
○○はあえて書かずにおきたい。この阿呆らしさを確かめて頂きたいから。

圧巻は、やはり奥村氏が中国へ行ってからだ。
20才の少年兵だった氏が教育の仕上げの名の下に中国人の処刑を命じられ、 実行したその地に赴き、自ら罪と対峙する。
また、当時共産党(敵)の警備隊員だった中国人の息子と対話するうち、 自分の中に日本兵として受けた教義が残っていたことを認識し暴露する。
最初に書いた通り、奥村氏のロードムビーの体裁をとっている作品だが、
同様の仲間たちにも、中国の人々にも話は及び、それぞれに罪と対峙するなり、 暴露もしてゆく。
ここでの暴露とは、他人のことではなく、自分自身の思考や行いの暴露である。
間違っていたことの暴露である。恥を忍んでの暴露である。
暴露したことを、勇気があると褒めて終われないほどの事実たちである。

こうして、このドキュメンタリーの行程がその先にはじき出した、1つの答えが見えてくる。
個人の罪の意識も、受けた傷も、消えることはないが、やはり国家の罪であり責任なのだと。
新しくもない答えだ。
だが、戦時に敵を傷付けた当事者たちが、これを、声高にではないものの公然と示すのは、どれだけ勇気がいることだろう。



最後には“わが子殺し”、つまり、戦時中の日本人が
自分の子が足手まといで殺してしまった、という話にまで触れようとする。
奥村氏も監督も、この映画を通して伝えることへの執心がどこまでも強まって いったのだろうか?と思えるようなシーンだ。
“我が子殺し”は、まさに触れただけで終わっている。流石に口にできる人はなかなかいないだろう。
「子殺し」と文字だけを読むのとは次元が違う。
おそらく………“生き地獄”とはそのようなことを言うのではないのだろうか。

氏とは違って、頑なに口を閉じる戦争経験者たちと接して、ポツリと呟く奥村氏。
「信念で言わない人もいる。私はまだ戦争を知らないのかも知れない(大意)。」
また、あの小野田氏に、靖国神社ですれ違いざまに「戦争美化ですか?!」と
投げかける緊張の瞬間も収められている。しかし皆、蟻の兵隊であるのは同じ。
彼等の姿を見ながら私は実感した。酷(むご)いことだがあえて書きたい。

国家は待っているのだ。蟻の死を。

そうして闇に葬ってしまいたいのだ。
「死んでも死に切れない」と言う、蟻の兵隊たちの無念を知りながら。

我ながら、なんと恐ろしいことを書くのかと思う。が、監督の日記にこんな一文を見つけた。
“「蟻の兵隊」というタイトルには、「踏み潰されてたまるか」という意味を込めたつもりだ。”
そうか。強いな。
それに、たとえ蟻の兵隊たちが死しても、私たちが覚えている。少なくとも私は忘れられない。





※撮影側が主人公に質問を投げかけながら撮ってゆく手法のドキュメンタリー。
質問しているのは、おそらく監督。あまり多くを問うてはいないのだが、
この手法はときに作為的な感じを与えると思う。ひらたく言うと、わざとらしくなってしまう。
今作の場合、奥村氏が自ら語るにまかせる形にした方が合っていたのではないか?
この作品を★評価することは控えたいが、その点だけがマイナスに感じれらた。
奥村氏は自然体のままでもチャーミングでスクリーンに映え、静かで強い表現力をお持ちです。

評者

葉直

更新日時

2006年08月12日 13時46分

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