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ノスタルジア/hackerのコメント

rating44.2500

ノスタルジアへのコメント

採点

rating4

推薦数

+1

コメント

火と水と母とタルコフスキー

ネタバレ

このレビューは物語の核心部分が明かされています。

レビュー

火と水と母...タルコフスキーのオプセッションとして、この三つを挙げることに異論のある人は、あまりいないでしょう。犬や馬を数える人もいるかもしれませんが、それらは、どちらかと言うと、ロシアの風景の一部として登場しているように思えます。実際、他のロシア(旧ソ連邦も含めて)映画でも、地方が舞台のものは、人間とコミュニケーションできる、この二種類の動物がよく登場するからです。ただ、この映画の場合、犬は重要な役割を果たします。

物語は、故国ロシアに帰れば、過酷な運命が待っていると知りながら、帰国し、その後自殺した音楽家サスノフスキー(本当の名前はベレゾフスキー)の足跡を辿って、旅を続けるロシア詩人アンドレイと、世界の終りが近いと信じて、家族を七年間も自宅に閉じ込めた過去も持つ狂信者ドメニコを軸に展開するのですが、最初にアンドレイがドメニコに興味を持ったのは、彼の連れていた犬が、幼少時代に自らの家に飼われていたものと似ていたからです。アンドレイは、ドメニコが今は家族にも逃げられ、孤独でありながら、確固とした世界観(正否は別として)を持っていることを知り、家族と故国から遠く離れて、これといった信念もないまま、ノスタルジアに苦しんでいる自分との対比において、感銘を受けるのです。そして、ドメニコの家(『惑星ソラリス』のラストのごとく、家の中に雨が降っています)を訪ねたアンドレイは、火を付けたままのロウソクを手に持って、最初二人が出会った露天温泉を横断することを、つまり水の上に火を渡すという行為を依頼されます。アンドレイは、それを忘れていて、若しくは気にも留めていなかったかで、帰国直前に通訳の女性(彼女はイタリアそのもののような存在ですが、それ故、その愛はアンドレイには受け入れられません)から、ドメニコがそれを気にしていたという話を聞き、温泉にとって返すのですが、風呂は掃除のために水抜きされていて、本来の姿ではありません。しかし、彼はドメニコのために、ロソソクに火を点けて、二度風で火を消されながらも、三度目に渡りきって(これらの動きが印象的な長廻しで撮られています)、同時に持病の心臓発作のために倒れるのです。同じ頃、ドミニコもローマで三日間街頭演説をし続けた後、手順が悪く、尻切れトンボの演出となってしまいましたが、ベートーベンの「歓喜の歌」が流れる中、公衆の面前で焼身自殺をするのです。

この映画のラスト・ショットは、合成ではありますが、おそらく『第三の男』のそれと並ぶぐらい、印象的なものです。イタリアの寺院の巨大な外壁に囲まれて、ロシアの家、アンドレイが幼少を過ごした家があり、その前にアンドレイと犬が座り、更にその手前に池があります。そして、ゆっくりとカメラが引いていくと、小雪が舞いだすのです。最後は、いささか唐突な感はあるのですが、「母の思い出に捧げる」という字幕が出て、映画が終わります。

ところで、この映画もそうですが、彼の作品群では、火は破壊=死の象徴であり、水は羊水=再生のイメージであると思うのですが、母は何なのでしょうか。思うに、ユングのグレートマザーを持ち出すまでもなく、破壊と再生の双方のイメージが混ざり合ったものではないのでしょうか。アンドレイがやろうとしたように、火を持って、水の中を歩くというのは、そういう意味からも「母に捧げる」行為なのでしょう。しかし、映画の中では、当初意図したようにはならず、水が抜いてある露天風呂を、火を持って渡ることになり、結果として待っていたのは死だったということなのでしょうか。そして、その後で、主人公の精神は、ロシアと水の世界で癒されることになるのでしょうか。この辺は、色々な解釈ができると思います。

しかし、水に対する表現という点からは、タルコフスキーが、この作品で頂点を極めたことだけは、確かなようです。霧、湯気、雨、川、池と姿を変える水の姿の捉え方は、真に彼だけのものです。余人に真似のできるものではありません。これを観るだけでも、素晴らしい作品です。

評者

hacker

更新日時

2008年07月21日 16時51分

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