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楢山節考/dreamerのコメント

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楢山節考へのコメント

採点

rating5

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コメント

人間の生と死のはかなさを、透徹したリアルな視点で見つめる今村昌平監督の秀作「楢山節考」

ネタバレ

このレビューは物語の核心部分が明かされています。

レビュー

この今村昌平監督の映画「楢山節考」は、1983年の第36回カンヌ国際映画祭で最高賞であるグランプリを受賞した作品で、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」と最後まで競い合ったという事で有名な作品です。

日本映画がカンヌでグランプリを受賞したのは、衣笠貞之助監督の「地獄門」(1954年、第7回)、黒澤明監督の「影武者」(1980年、第33回)に続く三度目の快挙でした。

「楢山節考」がカンヌの審査会で評価された大きな要因は、深沢七郎の原作がフランス語に翻訳出版され、フランスの識者の間で高く評価されてきたという背景があり、この原作は、その優れた翻訳を通じて、フランスのインテリ層にとって決して難解なものではなくなっていたという事だろうと思われます。

日本人にとっても聞きづらい東北弁や「楢山節考」の意味深い詩も、スクリーン上のフランス語字幕によって、かえって分り易かったのではないかと当時言われていました。

昭和31年に発表され、第一回中央公論新人賞を受賞したこの原作を、選考委員の正宗白鳥は「私はこの小説を面白づくしや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである」と、選評の中で激賞した事でも知られています。

「楢山節考」は、民間伝承の"棄老伝説"をテーマとした小説ですが、おりん(坂本スミ子)という主人公の老婆は、自分から進んで村の掟を守って捨てられようとする健気な女性です。

息子の辰平(名優・緒形拳)は、母を捨てる気になかなかなれず、心優しい後妻ともども思い悩みます。
しかし、貧しさからくる村の掟は非常に厳しく、張り裂けんばかりの慟哭の気持ちでおりんを背負った辰平は、神の棲むという楢山への険しい難路を、二人黙々と登って行くのです。

"残酷さと美しさとが奇妙に一体となって、肉親の切ない心情を詩的に描き切った原作の小説"は、正宗白鳥が讃えたように、まさしく"人生の永遠の書"というべきものだと、あらためて思います。

そして、この原作で表現されている情感というものが、民族の壁を超えて、そのまま各国の審査員の心の琴線を震わせたのだろうと思います。

おりんの残していった綿入れを見つめる辰平の、という事は原作者の深沢七郎の視点は、リアルでドライなものがあり、「復讐するは我にあり」の今村昌平監督も徹底したリアリズム演出をする監督で、彼はこの映画でも、人間と動物のセックスを同列に重ねて描きながら、"人間の生と死のはかなさを、透徹したリアルな視点"で見つめています。

映像を原作から独立させる傾向の強い今村昌平監督が、この映画では珍しく原作の生の持ち味、特性を比較的忠実に表現しようとしているのは、原作者の深沢七郎とどこか共通する何かがあるからかも知れません。

今村昌平監督は、自身、全く予想しなかったカンヌでのグランプリ受賞について、「姥捨ての事が外国人にどう理解されるか不安で、自信はなかった。
"神に会いに山を登る"というテーマが、受け入れられたのかもしれない。
東欧には、"棄老伝説"があるし、インディアンやエスキモーにもあるそうですが、どこまで西欧の人々に理解されるかわからなかった。
日本でフランスの新聞記者から何度かインタビューされたが、"生きる事は死ぬ事で、死ぬ事は生きる事だ"なんて私が言うので、話は通じない」と語っていました。

このフランスの新聞記者に語った彼の言葉は、おりんが、自ら死ぬ事は他を生かす事であり、他を生かすための死が、彼女自身の生である事を知っている----という事を意味しているのだと思いますが、この"生死一如の考え方"は、「深沢七郎の世界が、それ自体としては何の原因もない"自本自根"のもの、すなわち無であり、流転である。
万象はその一波一浪にすぎない」と原作の小説の解説にあるように、何か東洋的な哲学に相通じるものがあるのかも知れません。

そして、今村昌平監督は、この映画の製作意図として、「豊かではあるが、生きる意味を失っている現代社会に対し、貧しく飢えているが、生きる意味を持つ社会がかつてはあった。
おりんの死と生とを追及する事によって、私は人生の意味の究極を知りたいと思う。
この物語は、一見残酷である。だが現代を振り返って見る時、管理社会の一片の歯車と化す人間の姿は、残酷ではないと言い切れるだろうか。
福祉社会の恩恵は、人間を真に幸福にし、生を充実させているのだろうか。
老人ホームのありようは、人生の終幕を飾るのにふさわしいのか。----」と語り、棄老の今昔についても言及し、今日の老人福祉というものの在り方に疑問を投げかけています。

豊かな生活を思わせる若夫婦が子供連れで、老人と一緒に一見楽しそうにドライブをしている。
豪華なマンション風の建物の老人ホームの前に車が止まると、老人だけがひとり降りて、お互いに別れを告げる。

こんなシーンをこの映画の冒頭に入れようかと今村昌平監督は、当初のコンセプトで考えていたそうです。

現代における棄老は、昔の貧しい寒村とは違ったこのようなイメージのシーンなのでしょうが、物質的な福祉に恵まれた老人ホームの中に、果たして人間としての充実した生き甲斐が残されているのだろうか?

確かに表面的には、華やかで物質的には豊かな若夫婦の心は、果たして後悔なく満たされているのだろうか?

精神的に荒廃した棄老というものが、進んだ福祉社会の中で、貧窮のためにやむを得なかった昔の姥捨てよりも、もっと非情に行われている事を、この原作と映画はその裏側から告発しており、その事が科学文明と福祉に行き詰った西欧人の心の奥底を揺さぶったのかも知れません。

評者

dreamer

更新日時

2021年03月14日 11時39分

コメントの推薦

参考になる 2021-03-14
hacker2
2021年12月08日 07時23
2021年12月08日 07時23
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