みんなで作る映画データベース
  1. トップ
  2. 映画一覧
  3. スリルとサスペンス
  4. 犯罪
  5. 砂の器
  6. dreamerのコメント

砂の器/dreamerのコメント

rating44.0833

砂の器へのコメント

採点

rating5

推薦数

+1

コメント

宿命のもつ哀しみを打ち破ろうとする人間の栄光と挫折を描いた、日本映画史に残る不朽の名作「砂の器」

ネタバレ

このレビューは物語の核心部分が明かされています。

レビュー

映画「砂の器」の冒頭の画面一杯に広がる夕焼けを背景に、襤褸をまとった幼児がただひとり、濡れた砂を手に一杯盛って、無心に作り続ける砂の器は、朝の陽光を浴びて、ただひたすら崩れ去るしかないという、寓意を込めたこのタイトルシーンに、我々観る者は、映画的陶酔感に酔いしれ、「砂の器」という映像的世界に引き込まれていきます。

親と子の貧困と宿命のどうしようもないしがらみを、あらゆる手段で振り切り、天賦の音楽の才能で、人生に立ちはだかる壁を打ち破ろうとする、ひとりの人間の成就するかに見えた栄光と、その後に訪れる残酷な挫折を、砂の器に盛られたものを人生の脆さに重ね合わせ、深い哀惜と共感をもって映画「砂の器」は描いていきます。

裕福で家柄も良い出自の人々にとって、その人間の持つ才能は、恵まれた環境を後ろ盾として、順調に育ち、そして自然と評価され、頑丈で壊れない"鉄の器"の中で、その人間の人生は例えそれが一抹の虚像であっても、容易にぐらつくものではありません。

しかし、自分自身ではどうしようもない自己の出自による、宿命のもつ哀しみとつらさが音楽の才能に恵まれたばかりに、宿命からの脱却が、やむなく犯罪へと突き進んでいくというアイロニーになっています。

松本清張の大ベストセラー小説の原作の「砂の器」は、彼の初期の代表作だと言われていて、社会と人生を描いた静かで哀愁に満ちたサスペンスの高揚は、人生の深淵を垣間見せながら、栄光と挫折が同時に訪れる最終章へとなだれ込んでいきます。

この原作の発表当時から、その映画化に執念を燃やし続けた野村芳太郎監督と脚本家の橋本忍は、この構想を15年間も温め続け、共同でプロダクションを設立してまで映画化にこぎつけたそうです。

橋本忍は「一人で生まれることはできない。一人で生きていくこともできない----しかし魂はみんな孤独なのだ」というコンセプトのもと、この優れた砂の器のシナリオを完成させました。

推理小説の映画化は難しいとよく言われますが、橋本忍のシナリオは、原作を換骨奪胎し、推敲を重ね六稿目でようやく納得のいくシナリオが完成したそうです。

原作の小説は、犯人が幼年期の人生の恩人である、元警察官の三木巡査(緒方拳)を殺害する動機に説得力が欠けるとの指摘が数多くありましたが、橋本忍のシナリオは、その弱点をカバーしようとする優れた内容になっていると思います。

模範的な巡査で、人に対してもひたすら親切であったという三木巡査が、あるきっかけで、成人した和賀(加藤剛)の存在を知り、懐旧の念から上京して、和賀に対して、現在もなお生きているハンセン氏病の父親(加藤嘉)との再会を強硬に迫った事が、成功を目前にした和賀にとって、自己の出自の発覚を恐れた、打算的な殺意を生んでしまったという一般的な解釈に対して、橋本忍は、そこから更に深く突っ込んで、三木巡査の善意からの和賀への説得であるとはいえ、それだからこそ耐えられない人間の心に、ある意味、強引に踏み込んでくることへの反発・抵抗する気持ちが殺意へと向かっていったとする解釈へもっていきます。

この時の和賀の心理的な深層心理を考えてみると、人目には哀れだと見える親子の巡礼の旅が、二人にとっては、何事にも代えがたく、嬉しく懐かしいものであり、その状況を引き裂いて、父親を療養所へ送ってしまった三木巡査への、幼い日の恨み・憎しみが根付いたままであったとも言えると思います。

だからこそ、この父子の永遠の別れになる亀嵩駅の停車場で、列車を待つ父親のもとへ必死に走り、父親へすがりついて泣きじゃくる和賀のシーンが、この映画の中でも最も感動的なシーンになっているのだと思います。

この亀嵩駅での別れのシーンは、映画史に残るまさに名場面のひとつとして長く記憶に残り、思い出すたびに目頭が熱くなってきます。

そして、この映画の白眉ともいえる、ピアノ協奏曲「宿命」の新作発表会と新進作曲家として脚光を浴びる和賀を追い詰める警視庁の捜査会議、そして、ここに回想され掘り起こされる和賀の思いがけない暗い宿命的な過去。

この三つの演出上の同時進行と交錯する場面が、流麗で悲愴ともいえる「宿命」という演奏される曲によって、胸を締め付けられるように盛り上げていく最後の40分間の長いワンカットは、野村芳太郎監督と脚本家・橋本忍のこの映画に賭ける思いが全精力で注がれており、小説では味わえない映画という表現媒体のもつ強み・素晴らしさが最大限に発揮されていると思います。

この映画での現地ロケは17,000km、フイルムの使用量は20,000フィートで通常の映画の約10本分ということで、厳しい冬の竜飛岬、早春の信濃路、初夏の北関東、真夏の奥出雲、紅葉の阿寒と、日本全国を漂泊していく親子の巡礼の旅を、撮影監督の川又昴は格調高く日本の四季の風景の美しさ・たたずまいを丹念に心を込めてカメラに収めていて、この映画にある種の風格を与え、より感動的なものにしていると思います。

まさしくこの「砂の器」という映画は、後世にまで長く語り継がれる価値のある名画だと思います。

評者

dreamer

更新日時

2021年03月07日 17時36分

コメントの推薦

参考になる 2021-03-08
hacker2
2021年11月28日 08時21
2021年11月28日 08時21
©ずばぴたテック