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普通の人々/dreamerのコメント

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普通の人々へのコメント

採点

rating5

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コメント

日常生活における"普通"の中の"異常"を、醒めた視線で静かに見つめた、ロバート・レッドフォード監督の秀作「普通の人々」

レビュー

この映画「普通の人々」は、ハリウッドを代表する世紀の二枚目スター、ロバート・レッドフォードの記念すべき第一作目の監督作品で、シナリオを「ジュリア」「ペーパー・ムーン」の才人、アルヴィン・サージェントが書いている映画史に残る秀作です。

原作は、1976年に刊行された、同名のベストセラー小説で、著者のジュディス・ゲストは、ミネソタ州で、会社重役の夫と三人の息子と生活する普通の主婦で、38歳でこの小説を初めて書いたのです。

日本で出版された邦訳「アメリカのありふれた朝」のあとがきで、ジュディス・ゲストは、「ここに登場する人たちは、ごく普通の人々です。
『普通の』とは人並みで、正常で、調和のとれたという意味です。
ただ、その身辺に異常な出来事が起こる----それも毎日どこかの、だれかに起こり得るような出来事が起こる、ということなのです」と書いています。

その出来事とは、ヨットの事故で長男を失い、生き残った次男(ティモシー・ハットン)が、自責の念から自殺を図ったという事を指していて、このような出来事に対して、弁護士の父親(ドナルド・サザーランド)や母親(メアリー・タイラー・ムーア)が、"この出来事に対して、どう対処し、また処理していくのかを見る事"が、この原作者がこの小説で言いたかった、重要なテーマなのだと思います。

今まで、"普通"であった生活が、次第に"異常"となり、結婚してから21年、今まで愛し合っていると思ってきた理想的ともいえる夫婦の形が、もろくも、この出来事をきっかけに破綻していく、その心理的なプロセスを、原作の意図を汲んで、日常的な生活の中で、淡々とこの映画は綴っていきます。

亡くなった長男を愛おしむあまり、母親は無意識のうちに、生き残った次男を憎んでいるかのようで、この事が次男の青年の心に重くのしかかって来ます。

青年は、精神分析医(ジャド・ハーシュ)の助けを借りて、ようやく自己を取り戻し、母親への愛を素直に表現しようとするのですが、母親はどうしても素直に、この子を受け止めてやれません。

ここで感じたのは、アメリカ社会での、精神分析医の存在が人間生活に重要な役割を果たしている事で、心を支えるべき宗教を見失ってしまった、現代アメリカの苦悩が透かし絵のように見えてきます。

そして、このあたりの描写について、レッドフォード監督は、あのジェームズ・ディーン主演の名作「エデンの東」(エリア・カザン監督)での、父親と母親を逆にした設定で、オマージュを込めて繊細に描いていると思います。

心が塞いで食事がまともに出来ない青年。
青年が、手をつけないパンケーキを、母親は流しへほうり捨てます。
母親の癒す事の出来ない、心の闇の深さを垣間見せる、何気ないこの描写でさらりと描く、レッドフォード監督のうまさを感じます。

このような、小さな小さな日常の生活の描写から、砂漠のように、心の潤いを見失っている現代人の心の不毛を見事に掴んで、この映画は見せてくれます。

人間社会の最小単位であるはずの、"家庭"の崩壊、現代の底知れぬ不安感を、その原点で見つめようとする真摯な姿勢。

声高に叫ぶのでもなく、あくまで、静かに、静かに見つめるレッドフォード監督の演出は実に見事だと思います。

優しさを求める息子を、受け止めてやれない妻を夫は許せません。
深夜、ダイニング・ルームで一人泣く夫の姿には、何か鬼気迫るものを感じます。

モダンでクリーンですが、そのくせ温かみのかけらもないダイニング・ルームでのこの描写は、夫の心象風景を実に鮮やかに描いていて、レッドフォード監督、なかなかやるなあと感心させられました。

やがて妻は、一人家を出てしまいます。
残された夫と息子との、朝の風景は静かに、そして美しく、だからこそ、どうしようもない孤独な想いがこみ上げてきます。

「普通の人々」の姿として、これを描くところに、現代アメリカ人の不安と絶望を垣間見る思いがします。

アメリカの中西部、シカゴ郊外のレイク・フォレストに住む中流階級(アッパー・ミドル)の、ありふれた「普通の人々」の生活を、真正面から生真面目に描いたこの映画は、ロバート・レッドフォード監督の深い感受性と繊細で厳しい眼差しに基づいていて、この映画を通じて彼は、アメリカ社会を支えてきたWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)を侵食している、社会の根深い病根を診断しようとしているかのようです。

レッドフォード監督は、何故この作品を最初の監督作に選んだのかについて、「アメリカでは、家族という社会単位は腐蝕しつつあり、誰しもが、その潜在意識の中で家族に不安を抱いていると思う。
家族生活の型や儀式的な部分は失われてしまった」と語っています。

中流社会における家族生活の型や儀式的な部分とは、この映画の中の母親に見られる、世間体を気にする生き方だと思います。

レッドフォード監督は、「自分が大人になり旅を多くするにつれ、人々が、自分が本当は何者なのかという事より、見せかけの方をもっと気にしていると気づいた」とも語っていて、"普通の人々"の"普通の生活"における、"見せかけ"の生き方よりも、自分の感情を直視した、正直な生き方を選ぶレッドフォード監督にとって、この映画は、家族の中で感情がどのように扱われているのか、あるいは見逃されているのかという点が重要なのではないかと思います。

レッドフォード自身、彼の父親は会社の重役で裕福に育ったものの、母親を早くに失くし、少年時代から愛情というものに飢えて育ち、孤独で淋しがり屋でした。

そのようなレッドフォードだけに、ジュディス・ゲストという主婦の書いたこの原作を興味深く読み、その底知れぬ、家庭内での孤独感というものに、身震いするほどの切ない思いを味わったのかも知れません。

彼は、「僕は若い時から家庭の愛情の問題で深刻に悩んでいた。
父も母も良い人たちだったが違和感もあった。
僕は自分の言う事が人に通じないのを何よりも恐れていた」とも語っていて、そのような意味から、やはりレッドフォードは、この映画を通して、彼自身の事を語っていたのかも知れません。

"親は子供の感情に素直に反応すべきであり、子供の言う事に真剣に耳を傾けるべきではないのか"----というレッドフォード監督が、この映画に託した痛切なメッセージが、映画の背後から聞こえてくるような気がします。

評者

dreamer

更新日時

2021年08月07日 14時59分

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参考になる 2021-08-08
hacker2
2021年11月28日 07時57
2021年11月28日 07時57
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